キャンプという山道を登る:オンラインから東京までの軌跡
文:石川祥伍(ファーム編集室 アシスタントライター 2023)
Asian Performing Arts Campに参加する5人のアーティストは、2023年10月9日のIn-Tokyo Sharing Sessionで、オンラインと対面でのハイブリッドキャンプで得たフィードバックを通じて制作されたパフォーマンスを行った。それに先駆けて、9月19日に実施されたOnline Sharing Sessionでアーティストたちが発表したパフォーマンスやプレゼンテーションを振り返りつつ、オンラインから東京滞在までのキャンプの軌跡を辿る。
Online Sharing Sessionで花形槙は予期できない出来事と定義する「生の経験」をオンラインで擬似的に再現する試みとして、Zoomに接続したカメラを使用したパフォーマンスを行った。花形を映すカメラが、観客が花形をみる目でもあるという単純な「事実」を確認するために、花形は観客とともにデバイスを傾けたり、足元に置いたりする。観客は自分の目をカメラと重ね合わせることで、花形が隣の家のベランダにカメラを投げ入れるとき、自分がベランダへと投げ入れられたかのような感覚を経験する。観客は恐怖を伴う出来事を個人的に体験するが、実際カメラは観客たちの複数の目が集約されたものだ。自分だけが体験した生の経験を、観客全員も体験したことに気づくとき、生の経験は集団的なものとなる。
個人と集団の関係は薛祖杰(シュエイ・ツーチェ)の《The Zone》でも探求される。このインタラクティブな体験において、観客はLINEアプリに送られる質問に回答し、回答にあわせて画面に映る地形の映像が変化する。観客はデバイスでの体験に没頭し、都度自分の回答がどのように地形に反映されているかを確認する。しかし、地形は観客全員の回答に応じて変わるため、観客個人は自分の回答が地形に与えた影響を知ることができない。個人の経験が集団に接続される花形の試みとは異なり、《The Zone》はデジタルに接続されている個人と集団がじつは断絶されていることを強調する。
大貫友瑞は身体の動きによって立ち上がる空間に着目する。駅の改札を通る際の私たちには、歩き方やICカードの持ち方に癖がある。同時に、その癖は空間における改札機の配置に影響される。大貫は「癖のコレオグラフィー」と「空間のコレオグラフィー」を等価に扱う試みとして、何気ないZoom上での癖を観客が誇張して行うというパフォーマンスを実施する。見過ごされがちな癖に光を当て、個人と社会の関係を考える大貫の試行は花形や薛の取り組みと交差する。
アジアの歴史や政治に目を向け、アジアにおけるレジスタンスやクィアコミュニティを考えるアーティストもいた。スジャトロ・ゴッシュは集団によって生まれる反抗の力に注目する。ゴッシュは喪についての詩を朗読するパフォーマンスを行う。朗読した詩を解説する間、観客は流れる蚊の羽音を真似るように促される。蚊は歴史的に軍事政権や侵略軍への反抗の象徴として捉えられてきた。否定的な生理的反応を喚起する蚊の羽音が瞑想のようにも感じたのは、蚊を模倣することが抵抗にも喪に服することにもなりうることを表す。
莊義楷(チャン・イー・カイ)は、三部作の演劇の紹介を通じて「クィア・ユートピア」という今回のテーマについて話した。クィアの理想郷を描くうえで、莊は時間性の概念を重要視する。クィアな個人が経験する時間とクィアコミュニティが経験する時間を、時間性の芸術である演劇に投影する。アジアのクィアコミュニティがどのように西洋とは異なる時間性を思い描けるか、莊の演劇は共同体と所属する個人の両者を前景化しようとする。
これらのプロジェクトは5人それぞれの問題意識から出発しているとはいえ、彼らはワークショップや議論を通じて、キャンプというプロセスをともに形づくってきた。そのプロセスで重要だったのがフィードバックの存在だ。Online Sharing Sessionの後半では、Slidoというアプリで観客からのコメントを拾い、アーティストがそれに応答していた。In-Tokyo Sharing SessionでもSlidoの活用に加え、劇作家の市原佐都子と東京芸術祭リサーチディレクターの横山義志がフィードバッカーとしてアーティストに質問を投げかけていた。
アーティストが東京に滞在した10月頭の一週間のことをいえば、発表に対するものだけでなく、ファシリテーターやほかのアーティストからの刺激やオンラインから東京滞在という環境の変化も、作品を変容させうる広義のフィードバックだった。その結果、In-Tokyo Sharing Sessionでは東京の場所性を取り入れた作品やアーティストが共同で披露したパフォーマンスなど、オンラインとは異なるものが発表された。なにより、どのアーティストも観客が参加する作品を制作したことが示すように、彼らは外部からのフィードバックによって作品が変わっていく可能性を享受していた。
アーティストはキャンプを通じて作品が洗練されていく直線的な時間性ではなく、その都度、自分の身体に侵入するフィードバックと折り合いをつけながら、作品の形を変えていく断続的な時間性を提示した。真っ直ぐな一本道ではなく、曲がりくねった山道を登っていくようなプロセス。アーティストの思考の積み重ねや試行錯誤は、山の麓に山頂を見つける可能性を秘めている。