Asian Performing Arts Camp 2023 ファシリテーターインタビュー(前編)

インタビュイー:山口惠子、ジェームズ・ハーヴェイ・エストラーダ(Asian Performing Arts Camp 2023 ファシリテーター)

インタビュアー:新井ちひろ、石川祥伍(東京芸術祭ファーム2023 ラボ ファーム編集室アシスタントライター)

インタビュー実施日:2023年10月7日
場所:東京芸術劇場 リハーサルルーム

「笑い声が多かった」東京滞在

新井ちひろ(以下、新井):
Asian Performing Arts Camp(以下「キャンプ」)の東京滞在も4日目ですが、ここまでの滞在を振り返ってみて、どう感じていますか。参加アーティストのリサーチや、アーティストとのコミュニケーションはどんな感じでしょう。

ジェームズ・ハーヴェイ・エストラーダ(以下、エストラーダ):
ファシリテーターという立場からみて、今のところ素晴らしいキャンプになっています。日本が地元ではない人、フィリピンから来た人、海外から来た人として、いろいろなことを体験したような気がします。

まずリサーチへの導入として、 私たちキャンプ参加者は横山義志(東京芸術祭2023 リサーチディレクター)氏のレクチャーを受けました。舞台芸術とは何か、アジアとは何か、さらにアジアのコンテンポラリー・パフォーマンスとは何か、という大きな問いを投げかけられました。一方で、どうしてこんな基本的なレクチャーを受けなければいけないのか?という反応が一部のアーティストから予想されるわけです。でもファシリテーターである私としても舞台芸術についての基礎を固めたいし、参加者や他のみんなの基礎も固めたい。私たちがやっていることは本当は何なのか、植民地主義の歴史とは何か、そして今も私たちがそのただなかで生きている植民地主義の構造を理解し、そのフレームワークをもとにリサーチを位置づけることが必要でした。

同時に「私たちはアジア人なのにどうして英語を話すのか」という問いも、アジアのアーティストが作品をともに制作するうえで重要です。なぜなら、このプログラム全体がお互いのコンテクストを言語を通じたコミュニケーションによって理解することだからです。英語を理解すること、そしてなぜ私たちが英語を使うのかという問いを踏まえることで、私たちの植民地時代の歴史や、今日の私たちがどうしてこうなっているのかを深く探ることができると思います。

アーティストのリサーチに関しては、池袋の外に出かけることができたことはとてもよかったですね。個人的には、リサーチの一環で農場からバーまで行くことができました。この5年間、東京芸術祭で様々なポジションや役割を担ってきましたが、ここ数年は東京に行くことができなかったので、いろんなところに行けてよかったです。東京を都会として見てきた私にとって、東京を違う角度から見ることができたのは今回がはじめてでした。(リサーチに行った奥多摩にある)わさび農場のように、東京にも自然の空間があるとわかったのは興味深かったです。(チャン・イー・)カイのリサーチの一環で、クィアスペースにも行きました。このようなスペースは、私が東京に来るようになってからの数年間、見ることがなかったので、今年は行くことができてとても嬉しかったです。

少なくともこの時点で、アーティストたちは東京がどのようなところかを垣間見ることができたと思います。東京でのリサーチを終えた彼らは自分自身のコンテクストを持ち寄りながら、プレゼンテーションのための最終的な作品や台本を制作しています。それぞれのテーマに沿って、東京という場所について多くの情報を入手できたと確信しています。

山口惠子(以下、山口):
初日に集まったとき、笑い声が多かったという印象がありました。それはオンラインではまったく感じ取ることができなかった要素で、すごく安心しました。私がこのキャンプに関わるのは3年目なのですが、最初の2年はすべてオンラインだったし、今年も東京に来るまではオンラインで活動していたので、いま会えていることがすごい嬉しいです。オンラインではミュートで笑い声が聞こえていなかったと思うので、笑い声が響くだけでも対面で会えていると実感します。

横山さんのレクチャーはオンラインだったんですよね。当日、急にオンラインに変わったので、最初は準備も含めて大変でしたが、結果的に私にとっては面白かったレクチャーでした。オンラインの横山さんと東京にいる私たちの間で、オンラインの環境とある空間を他人と共有する環境を同時に観察することができて、このキャンプの仕組みについて考えることができました。また、このレクチャーは、「アジアの中で考える」というマインドセットを作ってくれました。横山さんが使っていた「フレーム」という言葉の意味をまだわかっていないのですが、アジアという漠然としたものをどう形どるのか、どのようにアジアを定義するか、そのための道具を与えてくれたと思っています。私たちの定義次第で共同体というものを捉え直せる気がしました。

私は池袋を中心に滞在をしていて、ジェームズのようにいろんなところには行ってないんです。だけど、いろんな人の話を聞く機会がありました。東京でこのキャンプを開催することの理由を考えていたとき、東京という土地性よりも、東京に集まる人との繋がり、ネットワークに価値があると思いました。東京という言葉に引っ張られていた自分がいたと感じました。

ファシリテーターの山口惠子(In-Tokyo Sharing Sessionより。撮影:松本和幸)

5人のアーティストの「本を開く」

石川祥伍(以下、石川):
今年の5人のキャンプ参加者の関心分野、アーティストとしての姿勢に対して、最初はどのような印象を持ちましたか。アーティストのリサーチに同行し交流する中で、その印象はどのように変化しましたか。

エストラーダ:
第一に、今年のキャンプに参加するアーティストを選考するのは本当に大変でした。本当に。たくさんの会話が交わされ、誰が今年のプログラムにふさわしいかを理解するのに苦労しました。誰がアーティストとして素晴らしいか、というよりも、誰がこのキャンプにふさわしいのか、誰と誰が相性がいいのか、をキュレーションするようなものでした。

また、はじめてハイブリッド形式でのキャンプを行うファシリテーターとして、それは学びのプロセスで、それ自体がリサーチでした。ハイブリッドという枠組みがあって、その枠組みのなかで実験することとなる5人のテーマがある。だから、ハイブリッド形式に取り組む姿勢やハイブリッド形式で実験できそうなテーマといった観点からアーティストを選ぶこともとても重要でした。惠子と何度も話し合い、参加者を選びました。

本当に興味深かったのは、オンライン上では、人がどのように見えるかは平等だということです。一方で、物理的な空間にいると、話し方、背の高さ、身体の大きさが、その人が話すときの臨場感を生み出します。だから、対面ではオンラインとは違った空間の力学がある。ある人は存在感が強くて、ある人はそこまで強くないという感じで。でも、私はアーティストの存在感より、アーティストのコンテクストを理解するほうが重要だと考えています。それはオンライン空間の平等性に立ち戻るようなものです。

それぞれのコンテクストを持つアーティストの本を開くように、私はアーティストからいろんなことを学んでいます。彼らは独自の制作方法を持つ、とても賢いアーティストたちです。彼らと話すたびに、私は5冊の素晴らしい本を開くことになるのです。その本を通じて何を発見するのか。それは心を揺さぶられるような経験で、アーティストとしての私の仕事のやり方をも変えてくれるでしょう。

石川:
本を開くというのは美しい比喩ですね。

山口:
オンラインのカメラの前では見られないことを、対面では見られることができたのは大きいです。オンラインのカメラの前だとスジャトロ(・ゴッシュ)は硬かった(笑)。けど、会ったらオンラインのときには感じられなかったことを彼から感じることができました。

あと、(大貫)友瑞さんのリハーサルを見られたことで、友瑞さんが持ってる興味を知ることができました。オンラインのときは言葉でしか情報をもらえなくて、それを想像するしかできなかったんです。けど、一緒に駅を歩いたり、リハーサルを見たりする中で、彼女自身が動く姿を見ることができて、想像していたのとは違う、空間や身体感覚への興味が立体的に浮かび上がってきました。

今回のキャンプでアーティストに提供できる環境は、時間の面でも技術の面でも、すごく限られていますから、良くも悪くも制限に合わせて思考していました。例えば、(シュエイ・)ツーチェはいろんなことをやってみたい気持ちを持っていたけど、技術的にできないことが多かった。だから、オンラインのときに考えていたことよりは簡素なアウトプットになるかもしれないけど、そのぶん池袋の土地性や会った人からいただいた言葉など、この場で出会えるものにフォーカスすることができています。(花形)槙さんについては、「生の経験」をテーマにしているので、今、この生きている時間がどんどん移り変わっていくということを大事にしていました。それはオンラインのときからそうだったのですが、対面でも継続して滞在中に起こるさまざまな出来事を制作に取り込んでいましたね。

オンラインと対面とのあいだーー“ハイブリッド”という形式

新井:
お二人とも以前からファシリテーターとしてキャンプに関わっていらっしゃいました。惠子さんはオンラインのみで、ジェームズはオンラインと対面キャンプの両方を経験しました。これまでのところ、今年のハイブリッド形式をどのように見ていますか。また、来年もファシリテーターを務めるとしたら、ハイブリッド形式を選びますか、それともオンライン・対面のどちらかを選びますか。

山口:
これまでのオンラインキャンプでは、身体を伴った空間で身体を伴った経験をすることに必死だったんですよね。どうやったら経験がバウンスして手に返ってくるかとか、どうやったら違う空間にいる人たちが一緒にいられるかということの模索だったんですよ。それはそれですごく面白くて。今までの国際共同制作では、ある1カ所にみんなが集まって、そこで共有した時間だけが成果という感じになっていて、それはそれで素晴らしくて大好きなんです。けど、集まってきた人たちの社会のこと、時間のことについて思いを馳せることはあまりなかったなと思っていて。オンラインではもっとそれができる可能性があるし、それをしたいなと私は思うんです。頑張って集まって何かをするよりは、それぞれの生活があるということを、長いスパンで、感覚として認識したい。

もちろん今回会ってみて、めっちゃ良かったなというのはある。個人レベル、個体レベルのやり取りとして対面のキャンプはあったほうがいい。でも世界、社会レベルのやり取りとしては、オンラインの視点っていうのは大切だと思っています。だから、もし来年もキャンプを計画するとしたら、確実にハイブリッドにすると思います。より長い期間をかけて、アーティストのいるそれぞれの地域のことを考えられるようなセットアップにすると、アツいなって思います。

エストラーダ:
今年はハイブリッド形式というものに挑戦したかった。というのも、パンデミックが起こってから、私はこの形式で仕事をしてきたからです。私は大学で教えていることもあり、パフォーマンスと教育の両面からハイブリッド形式を理解しようとしてきました。そして、このようなオンライン上の集まりが、明確な目標を設定したうえで、アイデアを交換するためのツールとしてだったら使えるかもしれないということがわかってきました。そういう会話を対面での会話ほど時間をかけずに、もっと小規模にやる。

一方で、対面での経験は五感を使います。もちろん、オンラインには感覚的な体験がないわけではありません。ですが、オンライン上では他人は私の部屋の様子を完全に把握することはできません。私のベッドはどのような匂いをしているか、とか私のベッドの感触は少し硬いかもな、とか。だからこそ、対面では同じ空間を共有しているときにしかできない多感覚的な体験を重視したほうがいいと思っています。オンラインの体験にある多くの制限がどのように機能するかを理解したうえで、オンライン上で話すべきことは話して、対面ではオンライン上で共有したアイデアをもとに、実験的な要素を組み込む。なので、来年もこのプログラムに関わることがあれば、対面での時間を増やそうと思いますね。

新井:
お二人が正反対の考えを持っていることは興味深いです。

山口:
一緒に働くことはもうできないかもしれないね(笑)。面白いね。

エストラーダ:
私は直接会う時間を増やして、オンラインで過ごす時間を減らしたい。(惠子は)オンラインでもっと長く一緒にいたいと思っているんだね。

山口:
そうだね。私の場合、今より長いスパンのプロジェクトを考えているんだと思う。

(後半につづく。構成・文:石川祥伍)

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東京芸術祭ファーム プロセス発信

東京芸術祭ファーム ラボ「ファーム編集室」のアシスタントライターが、人材育成、教育普及の場である「東京芸術祭ファーム ラボ」のプログラムについて、活動の実態、創作過程をレポートします! https://tokyo-festival.jp/2023/